ほほえみ
ネットワークニュース
第79号 2006年11月1日発行

 

「生き直し」のスタートのために

理事長 田代尚嗣

 理事長は、ここ一年ばかり「立ち直り」「生き直す」ためにはという文章を度々お書きになっています。伴侶を亡くして独りになることは、見方をかえれば解放であり、遺された者は自由になることを意味しています。
 今回は、生き直すために基本的にどう考えるべきか、そして、「生きるとは何かをすること、残された時間には限りがあるのだから」と。
                                                                          広報 池羽

  人はさまざまな人生、誰とも同じではない人生を生きます。
 そして、永い人生の中では、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみもさまざまなことが渾然一体となって「一つの人生」を形づくっていきます。
 人は意識するしないにかかわらず、誰かのため、何かのために生きようとする生きもののようです。
 伴侶がいたら伴侶のため、子供がいたら子供や伴侶のため、仕事のため、趣味のなにかのためという人もいるかもしれません。
 私共の会員の多くは伴侶のために生きてこられた方々が多いことでしょう。伴侶のために生きそして、伴侶によって生かされてきた人達ともいえるでしょう。
 しかし、もうすでに伴侶はいない、この絶望感、空虚感、悲嘆は言語に絶するはずです。
 私共の会ではこの絶望感、空虚感、悲嘆を癒していく、うすめていくために存在しています。しかしながら、最後に残る「絶対的な孤独感」は私共の会といえども力の及ばない存在でした。
 実は「絶対的孤独感」、簡単にいってしまえば「どうしようもないさびしさ」といえるでしょうが、このことを解決すること、なくすこと、減少させることが「生き直し」のスタートともなり、目的ともなることなのだろうと思います。
 今までもこの点についての問が会員の方々よりあったように思いますし、他の役員の方々へもさまざまな活動の中で、問われたことなのだろうと思います。
 私はこう思うのです。
 絶対的孤独感は気づきによって救われる、減少させることが出来ると。
 では、何に気づくのでしょう。それは、「人は何かのために生きているのではなく、ただ生かされている」ということに気づくことです。
 「ただ生かされている」と思うことによって、寄る辺のない頼りなさを感じるということも正直な感じ方なのでしょうが、と同時に、それにも増して無限の自由とわきあがる勇気をもつことが出来るはずだと思うからです。
 そして、気づきます。「人にとって生きるとは何かをすること。何かをしないと人は生きられぬ」ことを。
 さらに気づいていきます。
 「人は行動したことより、行動しなかった後悔の方が深い」ことも・・・。
 
   

 私はこの頃、季節の移ろいの早さに唖然とすることがあります。
 このように今までの私の人生も、多分、皆様方の人生もあっという間に過ぎてきたし、またこれからもあっという間に過ぎていくことでしょう。
このことから、私達には、それほど人生の時間は残されていないことに気付かされます。
9月のある日(この原稿を依頼された前日)、帰宅する電車の中から夕焼けの空が見えました。その時ふと浮かんだ言葉を覚えていて、自分としてもしみじみと感じてしまったことなので、記しておきましょう。

   夏の日の夕暮れの中で、
   西の空をながめる
   青い空と白い雲が
   少し灰色にかわり、
   だんだんと
   オレンジ色から赤く
   かがやきだす
   そして、
   一瞬の強いかがやきの後、
   あたりは急にうす暗さを
   増していく
   こうして、
   一日一日の夕暮れに、
   人生の夕暮れが
   重なっていく
    もう秋・・・

 どうか、会員の皆様は、「ただ生かされている」ことに早く気づき、勇気をもって、なすべきことをなし、したいことをするようにしましょう。
 そして、これからは今日一日一日を大切にして、自分らしく生きることではないでしょうか。

「男泣きしたい」されど

E・S(千葉県)

 妻が逝ってから八ヶ月が過ぎました。気晴らしに「一人参加」の温泉旅行に出かけている。しかし心は少しも晴れない。あと何ヶ月、何年すれば心が晴れるのか…
 私は元来涙もろく、TVのドラマ、ドギュメントなどを見ても目が潤んできます。
 永六輔さんが妻を亡くして、こんなこと書いています。六十歳以上の夫婦で夫が妻を看取るのが十五%、妻が看取るのは八十五%。余生は男性五年、女性は二十二年であると。
 私は、これからミーティングに参加します。その中で自分を見出し、「男泣き」できるだろうと思っています。今は墓標の「永遠の愛」に手を合わせている。

「お父さん有難う」

F・F(神奈川県)

 「ほほえみ」に入会して六ヶ月が過ぎました。お世話下さっている方々の温かいお心と、同じ苦しみを持つ仲間との出会いに感謝しています。
 スポーツマンで精神力の強い夫は、いくじのない私を置いてさっさと逝ってしまいました。
 昨年九月膵臓癌で、皆に「有難う」と手を合わせながら三十日余の入院生活の末に旅たちました。
 やっと退職して、「これからは旅行しまくるぞ」とジャケットやポロシャツを買い込み楽しみにしていたのに、それも引き出しに眠ったままです。
 昨年の今頃は庭いじりに精を出していましたね。どうしても一年前の日々が甦り、涙が止まりません。
 「お父さん、本当にほんとうに有難う」
 人一倍いくじなしの私を誰よりも知っていたお父さん、これからは会の皆様と共に、命のある限り前向きに生きていきます。

  

立ち直りの兆し

K・K(埼玉県)

人間は自然界の中で、ひとつの動物であります。虫たちは、その虫の時間を過ごして、ひっそりと死んでゆき、小鳥も同じで個々の時を生きて、そっとこの世から消え去ります。
 人はこれを無常とか儚いといって悲しみます。いろいろな本やえらいお坊さんは、肉体は死んでも魂は滅びないといいます。魂はそれぞれ関係のあった人々の心の中に思い出として残り消滅しない。忘れ去られないから、その人の死は無に帰すことはないと。
 しかし、亡くなった人を知っていた人たちは、何年後か、何十年かの後にこの世から、居なくなります。
 その人が存在したことすら判らなくなるのです。残るのは誰も知らない墓石の名前だけです。
 これは言うなれば、この世に在った、その人の肉体や魂が何もなくなると言えば、あまりに惨めで救いようが無いと考え、無理にその人の存在した価値を強調した、こじつけに思えるのです。
 結局、人は、その人の時間を生きて、一瞬の幻のごとく、この世から跡形もなく消え去ります。
 私が嘆き悲しむのもこの一瞬なのでしょぅか。
 妻の死により、身をもって知ったこととは『死んだら終わり』ということです。妻は私の記憶の中に常にありますが、その記憶は固定化され絶対に変化しないと思いましたが、生きている私はあれから、少なからず変わりました。これからも変わって行くでしょう。
 だから、この世にあるうちに残された自分の時間を大切に、時を失わず、ささやかに楽しみ、悔いなく過ごそうと思うようになりました。
 妻を大動脈瘤で喪って一年半。ミーティングに半信半疑で参加して、同じ思いの仲間たちと悲しみを共有し、いろいろな角度から妻の死に向き合ってきて、なんとか立ち直りの兆しを感じ、生きてみようという力を与えられました。
 ありがとうございました。
 “送り火や思い出抱いて又独り”

この頃思うこと

H・Y(埼玉県)

 夫が亡くなって、今年で三回のお盆が巡ってきました。
 私は団塊の世代、もうすぐ定年を迎えます。子育ての十年を除いてずぅーと仕事を持って生きてきました。夫は営業マンでよくいろいろなアドバイスをしてくれました。
 息子たちも社会人になり、私の人生は順風満帆だったのですが、
夫を亡くして一年、また一年過ぎて、これからどう生き直すか、模索しています。
 斉藤茂太のこの言葉が私は好きです。「四〜五年先のことを、心配するな!」「今日一日をどう生きるか、それが大切」という。
 病気になってみないと病人の心はわからない。連れ合いを亡くして初めて同じ境遇の人の痛みがわかる、それを今、実感しています。
 この頃、自分の生き直しを考え、「同じ境遇の仲間と支えあってゆきたい。どんなことを考え、どんな生き方をしているか知りたい。少しでも力になれることがあったら手伝ってみたい。」と思うようになりました。
 亡くなった夫は、きっと私の生き直しを天国で見守っているだろう…と
 そんなことを思いながらこれからも生きてゆきます。

  

お父さんもうすぐ三回忌

S・K(埼玉県)

 お父さん来月三回忌です。もう三回忌とも思うし、まだ三回忌なの?とも思います。
 三十七年の結婚生活ではいろいろあったけれど、定年を迎えた後のお父さんとの生活は本当に充実した六年だった。もっともっと続いてほしかったのに、さっさと逝ってしまってー。
 多趣味のあなたに、わからないことを沢山教えてもらいましたね。
リチャード・クレイダーマンの曲を私が好きだからとよくかけてくれましたね。聞くと悲しくなってしまいますが、あなたのことを想い出しながらCDをかけています。
 住む世界がちがってしまいましたけれど、そのうちきっと会えるよね。
 それまで下界で周りの人に支えられながら、お父さんの写真に見守られ、生かされている日々を大切に頑張りますヨ。お父さん!


柿沼勇夫さんの絵手紙

 

 

四国八十八カ所巡り結願

Y・T(富山県)

 今年三月に四年がかりで四国八十八カ所巡りを終え、結願しました。平成十一年に妻を亡くし、仕事の合間に休暇を利用
してマイカー遍路を始めました。
 富山から四国まで、五百キロ。お寺の参拝時間は午前七時から午後五時までです。毎朝ホテルを六時ごろに出発し、食事も運転しながらの強行軍でした。
 特に、お寺とお寺が離れている室戸岬の先端にある最御崎寺は遠かった。また標高千メートルにある雲辺寺。横峰寺など、登山しているような印象の霊場もありました。
 約千二百年前に、弘法大師により修行霊場として開かれた寺への参拝は、自家用車が無かった時代、すべて歩いてまわるお遍路でした。
 決死の覚悟で死装束をまとい、「南無大師遍照金剛」を唱えながら弘法大師とともに遍路している気持ちで歩いていたのでしょう。  
 現在も、歩き遍路の方々は沢山います。中高年が多いですね。
 皆さんそれぞれの思いで、人生を見つめ直しているように思いました。
 遍路を終えた今、心地よい充実感を味わっています。次は、高野山へのお礼参りを予定しています。

ごめんね!我が妻よ

K・K

 お母さん、わが妻よ、ごめんね。僕の介護の不行き届き、ごめんね。戦後まもなく結婚して、苦難の道のりを共に頑張って二人の子どもを大学に行かせたのは、お母さんのお陰でした。孫達も大学生だよ。ありがとう。
 丸三年の病院の入退院は辛かっただろうね。
 家で死にたいと言っていたね。
 ぼくの体力が無くて家で看病してやれなかったことを悔やんでいます。入院中に、くも膜下出血で倒れ、脳挫傷だと聞いた時のショックを今でも忘れません。その手術をして十日で逝ってしまったお母さん。
 今、僕は仏壇の遺影を毎日見て金婚式の日の思い出に耽っています。僕の短気な性格が、あなたの死を早めたのでは、と思っています。

編集後記

“誰がために生かされ生くる生ならむ吾が生の価値深からむに”
 夫が亡くなって、病院の窓から暮れなずむ外を見つつ、涙が止まらなかった日から、長い時間が過ぎました。死別は喪失ばかりではないという。しかし、今も夫が居たなら、どんなに幸せだろうと思うのです。