ほほえみ
ネットワークニュース
第81号 2007年3月1日発行

 

 ある日の「談話室」の風景 

理事長
田代尚嗣

 「愛した人は今どこに?」 ( のこ ) された者が幾度となく問いかける言葉です。その存在について、歌を通して語りあいました

 今回は、毎月一回行なわれている「談話室」三グループ中のCグループでの実際の話し合いについて述べてみましょう。

 「千の風になって、という歌がはやっていますよね。亡くなった人がお墓にはいないで、風になって大空を吹き渡っているという内容のもの。だからお墓の前では泣かないでくださいという・・・。しかし、私には亡き妻が風になって吹いているとも思えないし、お墓にいるとも思えないのです。『死は無』としか思えないのです」
 「私は、夫はお墓にいると思っています。ですから毎日お墓に行った時期もあります。仏壇にもいると思えますので仏壇にも声をかけています」
 「本当はどこにいるのか、誰か教えてください」
 「私の妻はやはり風になって、いつも私のそばにいてくれると思っています」
 「私は、夫は風になって吹いているとも思えたし、そうではなくやはり、お墓にいるとも思えます。どう考えればよいのか、常にゆれているのが正直なとこです」
 「宗教的にはどのように考えているのですか?」
 「仏教もキリスト教もイスラム教も死とともに仏の国(浄土)、神の国(天国)に行くとします。例えば仏教の場合、葬儀のときに浄土へ送る儀式をしているのです。『引導を渡す』という言葉をご存知だと思いますが、これは霊を浄土に導くことです。この儀式を葬儀の中でやっています。また、浄土教の宗派(浄土宗・浄土真宗)では死と共に阿弥陀仏が死者をお迎えに来てくれるのです。(阿弥陀如来来迎図などでおなじみです)このようにして仏教(大乗仏教)ではすべての死者は仏の国に行くと考えます。キリスト教では死者は神の国で神の懐に抱かれるのです。このことを『安息主懐』と表現しています」
 「すると宗教的にはこの世にはどこにもいないし、戻って来ることもないと?」
 「その通りです。亡くなった人はすべて仏の国に行き幸せになるのだ、とするのです。そして、遺された者はそれを信じることによって癒され救われるのです。ですから宗教は忘れる愛、忘れてあげる愛を求めます」
 「だけど人間はなかなか忘れることができない」
 「そうですね。一つ例をあげましょう。野口雨情という有名な詩人がいます。彼は七歳になる娘を亡くすんですね。だから泣き暮らしていた。そういう中で夢を見ます。夢の中で娘が訴えるんです。お父さんが泣いてばかりいるから、私の天国に行く翼がぬれて飛べないじゃないと。雨情はそのことに気づき、その後泣かないようにしました。すると、ある日また娘が夢に出てきて、お父さん、私は天国に行けたよ、と言って嬉しそうに告げるんですね。これが、雨情にとって娘が神の国に行ったことを信じられた瞬間だったんですね。そして、童謡で有名な『七つの子』」を書きます」
 「しかし、私達現代人は宗教をあまり信じていない」
 「今日では宗教的意味づけによる解決は出来ない人が多いということですね。しかし、なんらかの意味づけをしないと癒され救われない」
 「何か決定的な考え方はないのでしょうか。」
 「私はやはり仏教の智慧である『色即是空』の『空』の考え方で救われました」
 「それは何ですか?」
 「空とは、すべてのことやもの(色)は縁起によって成り立っているにすぎない。だから、永遠に変らないものなどはこの世には何もないのだという考え方を『空』という一文字で表わしています。縁起とは原因や条件のことで、これがあるから『結果』が生ずるという考え方です。原因や条件が変われば結果は変わるし、結果自体がないということもあるわけです。ですから、ある一定の条件や原因のもとで存在した、例えば、『幸せ』は条件や原因が変われば、なくなるか変わっていくということです。そして、『かつての幸せの原因や条件』に執着すればするほど、人間は苦しみ続けることになります」
 「伴侶を喪って苦しんでいく過程は、今まであった原因や条件がなくなったことに気づいていく、認識していく過程なのだと?」
 「あなたの今までの幸せにとって決定的であった原因や条件がなくなったことを気づいていく過程です」
 「今までの?」
 「そうです。あなたの幸せがなくなったわけではありません。『今までの』です。ですから、新しく生じた原因や条件のもとで幸せは充分に可能なのです。これが仏教でいう、執着するな、とらわれるな、ということの意味なのです」
 「数千年に及ぶ人間の歴史の智慧に学べ、ですか?」
 「今あなたがおかれている状況を素直にながめてみて、そこからスタートし、愛した人と共に懸命に生きた愛しき日々の思い出を力として、これから生きていくことです。それが出来た時こそあなたにとって、あなたの愛した人がどこにいるか、ハッキリとわかるのではないでしょうか」

 (いうまでもなく、この会は特定の宗教とは関係ありません。今回のCグループでの話し合いは、今話題の詩「千の風になって」をテーマとして話し合われ、たまたま仏教書の書き手として著名な理事長や仏教に造詣が深い会員も参加されたこともあって、かなり盛り上がったようでした。―広報―)

 

 

柿沼勇夫さんの絵手紙
 現在リハビリ中の柿沼さんです。ご回復をお待ちしています。

 

 

今年の方針とお願いについて  

交流の広場委員長 T・N

 今年の具体的な行事としては、二月三日に開催した新年会に始まり、秋の懇親旅行、忘年会などを企画実行する他、毎月のお話会の盛り上げ、カラオケクラブの支援、リライフの支援、フレンドリーダイヤル&メールの活性化等を行う予定です。
 活動の充実化や新企画などについては会員の皆さまのご意見、ご要望を事務局までお寄せ下さい。
 ではこの一年、ご協力よろしくお願いいたします

 

亡き妻へ、亡き夫への短い手紙

M・M東京都

 あなたの一周忌が過ぎてまもなく私も大病をしました。あなたと同じ病気でした。でも初期だったために今は元気に仕事もしています。
 “あなたのそばにいけるのかな”と思ったけどまだまだ私の役割はあるようです。もうひと頑張りしてみますから見守っていてくださいね。

亡き妻へ、亡き夫への短い手紙 後悔ばかり

S・S(千葉県)

お父さんは小柄な身体でいつも一生懸命に仕事(鉄道運転勤務)も、家庭生活も頑張っていましたね。やりすぎて疲れたのでしょう。定年後はテニスを楽しんでいましたね。けれども膵臓癌になり二ヵ月半で逝ってしまいました。
 今、二年半過ぎ、時々襲ってくる何とも言い表せない寂しさ、何故、もっと早く発見できなかったのかの後悔ばかりです。

 

「七回忌に想う」

A・I(神奈川県)

主人は平成十三年三月三日、胃ガンが全身に転移して逝ってしまいました。五十一歳でした。 亡くなってからの、三〜四年は、主人に対して「なんで、私をおいて・・」とか、「どうやって、死のう」などなど、責めてばかりでした。周囲の励ましの言葉に傷つき、満開の桜を見ては悲しくなったり、クリスマスソングが流れる街並みは、あまりにも自分の気持ちと違うので、足早に通り過ぎては、涙を拭っていました。
 ある時、次男に「まだ、みなし児にしないでよ」と言われ自分のことしか考えてなかったなと反省しました。この言葉は一生忘れないでしょう。
 そして、この一〜二年は、まだまだ落ち込む時もありますが、桜を綺麗だと思えるようになりました。死別を受け止めて「これもしかたがないなぁ」と言えるようになり、以前より有難うという言葉や、感謝の気持ちが増えてきたように思います。
 一人では、ここまで頑張ってこられなかったでしょう。家族や友人、ほほえみの仲間達等、大勢の支えを頂いてやってくることができました。

 七回忌の墓前に立つ私と、三回忌の時の私とは、少し違っているなと、主人も喜んでくれるかな・・・。

三十一年前のラブレター

T・A(千葉県)

 女房は末期のすい臓がんで闘病十四ヶ月の末、昨年五月に逝ってしまいました。
 葬儀、四十九日、新盆と一ヶ月毎に続いた仏事を済ませ、九月に入って少しずつでも遺品の整理をしなければと思い始めました。
 ある日、女房の箪笥を整理していたところ、結婚前にデートした時に撮った写真と婚約直前の三十一年前に一通だけ女房宛に書いたラブレターが大切に保管してありました。
 この三十一年間、私たち夫婦の間にもごたぶんに洩れず山あり谷ありで色んなことがありました。しかし、女房は私との「愛の証」として、このラブレターをそれこそ
大事に持ってくれていたのだと思います。
 読んでいく内に心は時空を超えて二人が出会った楽しかった頃に浸り、涙が止まらなくなりました。もう忘れていましたが、ラブレターには女房を愛する当時の私の気持ちを託した短歌が五首ありました。今も私のその気持に変わりはありません。いやむしろ、三十一年という歳月を共にした分だけ気持は深くなっているように思います。このラブレターは私が生きている限り、最も大切な遺品として持ち続けます。
 私が残りの人生を、前向きに進んで行けると確信を得た時、もう一度あの世の女房にラブレターを書きます。そして、いつの日か私が逝った時,娘たちに二つのラブレターをお棺に入れてくれるよう遺言します。

 

『今日もグッドグリーフな一日をありがとう』

M・I(神奈川県)

 毎月第三土曜日の「談話室」のBグループにおいて行われるグッドグリーフ・クラブ(GGC)を毎回楽しみにしています。今回で七回目、毎回参加メンバーが微妙に変化し、初めて、参加される方もいらっしゃるので、いつも新鮮な気持ちで緊張感と親近感を持って、ほぼ毎回参加させて頂いています。そして回を重ねるごとに癒されていることを実感しています。
 参加し始めの頃は、「ひとに自分の事を聞いてもらう」ことの癒しの効果を感じました。同じ境遇のひとに想いを吐き出すことで癒されていったのでしょう。そしていつの頃からか、「ひとの話しを黙って聞かせてもらう」事で癒されていることも実感するようになりました。

 テーマトークでは、「後ろ向きな嘆き」や「前向きな明日への希望」など様々な体験談を聞くことができました。どちらの話しもすべてを自分に置き換え、心の中で共感し、もしくは否定することでなにかに気付き、もう一人の自分とも対話し、日々を反省し、明日への希望のヒントが得られたような気がします。
 新たな人生の価値に気がついたときに人は、癒され、復活が遂げられるのだと思うようになりました。しかし、そこに至るには、「多くの涙と多くのコミュニケーションとそれらに費やす多くの時間」が不可欠なのではないでしょうか。お金や自分の力では、取り戻すことの出来ない「命」を亡くし、逆にお金や自分の力でなんとか出来るものに何の魅力も無くしてしまい、「生きることの力の源」が見つけられずにいる状態から、なくしてしまった価値にしがみつくのではなく、新たな価値を見いだし、「生きることの力の源」は、自分にとって何なのかを真剣に考える必要があるように思います。是非、あなたも談話室(Bグループ) に参加してみて下さい。きっと何かの「気付き」があるはずです

 

新年会に参加して

S・K(埼玉県)

 二月三日に遅まきながらの新年会が丸の内で開かれました。たくさんの方との出会いで、始まる前から和気あいあいの雰囲気でした。温かな鍋料理で盛り上がり、そのまま二次会のカラオケに参加しました。得意の歌が飛び交い、共に楽しむ姿からは悲しみを背負った様子は見られず、この余韻がいつまでも続くようにと願いました。
 この日は節分、「福は内」を呼び込めた交流の場だと感じました。

短歌

M・M(東京都)

 妻逝きて愚痴こぼしつつ今宵また 遺影にむかひ一人のむ酒

 

◆◆ほほえみ掲示板

 「仏壇のはせがわ」さんが当協会の後援を!!
本年1月より、当協会の「後援」として仏壇販売の最大手「仏壇のはせがわ」さんよりご協力をいただくことになりました。伴侶を亡くした人に対しての、当会の活動の中心でありますグループミーティング(悲嘆の回復作業)ついて、窓口で紹介をしていただくというかたちです。