ほほえみ
ネットワークニュース
第82号 2007年5月1日発行

 

 生涯忘れえぬ人との出会い  

理事長
田代尚嗣

 人生における折々の出会い。人にはそれぞれ大切な人との不思議な出会いがあるものです。生涯を共にした伴侶は勿論、この物語のように魂のふれあう出会いが美しい思い出としてのこる時「よい人生とは、よい思い出の蓄積」であると思えるのです。(広報)

  いつのまにか、日本社会は平均寿命八十歳を迎えてしまった。
 多くの人にとって、定年のあとも二十年、三十年を生きのびることになる。
 第二の人生、あるいは第三の人生が否応なく前方に待っている。その前方には、老・病・死がゆっくりと近づいてくる。
人はそれをじっと凝視しながら生きねばならない。
 多分、多くの人にとって今まで考えもしなかった、生・老・病・死への対処と中道思想を説いたブッダの影が少しづつ濃度を増していくことだろう。
 
10数年前になるだろうか、「マディソン郡の橋」というアメリカの小説が日本でも大ベストセラーになった。アメリカで映画化もされた。
 内容はご存知の方も多いだろうが、中年男の写真家が、屋根付き橋のある米国中西部の町を取材に来て、立寄った農家の主婦に ( ) かれて、家族の留守の間の数日を共に過ごすというものであった。
 そして、別れた後も、男も女も
死ぬまで、その数日の出会いを生涯いかに大切にしたかが物語られるものであった。
 世間的にいえば、特段変わったことのない、男女の人生におけるチョットした出来事に過ぎないことなのに、なぜ、あんな大ベストセラーになったのだろうか。
 そこには多分、世の中には人と人との不思議な出会い、魂のふれあい、説明できないなつかしさ、愛しさがあることを読者は感じとったのかもしれない。
 「老いて若さを感ずるのは、ビジネス社会での役割を捨てて、もう一度他者との出会い、他者の感じ方、生き方に驚くことの出来る能力である」(比較文化精神医学の野田正彰氏)という説とも共通するのだろう。

 人は年齢と共に、扇の
( かなめ ) から右と左に開いて遠くなるように、考え方も感じ方も、振る舞いも人生のあり方さえ他者と大きく違ってくる。

 ある面で「年齢と共に円満になる」というのも当っているだろうが、私に言わせれば、年齢と共に人は個性的になっていく。個性的なのは若い人では決してない。

 なぜ、このように矛盾することが成立するのか。
 人と人との交際においても、その個性的である面だけを見つめれば、交際自体はなかなか成立しない。
 物事にはすべて極端から極端への二面性があることに気づかねばならない。
 極端な部分のみを見つめたり、言い立ててもそこからは何も生まれない。極端と極端の中に身を置いて両方の全体に流れる通奏低音を察知しその本質を瞬間的に把握し、適切に判断をする実践的な知恵をもつことこそが、人生の成熟期には必要なのだろう。
 このような中道思想による能力を身につけた人が多いのも高齢者の中にはたくさんおられるだろうし、またそうでなくてはならない。

 だからこそ「個性的」で「円満」なのだろうと思う。
 大都会でしか似合わない写真家と、地方農家の主婦の間で生まれた、生涯忘れ得ぬ遭遇は、この両極端の中で本質を察知し、すべてを越えた魂のふれあい、説明出来ないなつかしさ愛しさの中での日々だったのだろう。
 「マディソン郡の橋」の主人公の男性が述べている。
 「分析することが全体を破壊するのです。ある種の物事で魅力あるものは、全体として存在するのです。部分部分をバラバラに見ようとすると、それは無くなってしまうのです」と。

 人生における出会いや遭遇はすべてが「忘れ得ぬ幸せなこと」とはいえない。

 しかし、そうであってさえも出会いや遭遇は大事なことと思う。なぜなら、将来、「思い出」に変わるとき、ほほえみを浮かべて思い出すことができるからだ。
 そして、「よい人生とはよい思い出の蓄積」と思うからだ。

  過ぎた日々と
  さまざまな記憶
  そして
  あまたの思い出が
  交錯する季節
  それは
  彼岸の季節

                                                    26日記)

 

富岡製糸場の桜(樹齢130年)

 

柿沼勇夫さんの絵手紙
 現在リハビリ中の柿沼さんです。ご回復をお待ちしています。

 

 

養成講座(昨年七月)を受講して

M・H岐阜県

 私は依存度の高い人間だと自分自身のことを思うのですが、なるべく自発的に主体性を持って行動することを心がけて行きたいと思います。そうすることで、何か自分が一生をかけて続けていけることに出会え、それが生きがいになれば、孤独感から抜け出せるのではないかと思います。  
 楽しみを見つけることも大事だと思いますが、何よりも人の為になること、人に喜んでもらうことで人は最も生きがいを感じるのではないでしょうか。

 「ほほえみ」の活動に自分も参加することがこれからの私の生きがいになって行くのではないかと思っています。
 養成講座を終了して、私は今まで自分の悲しみにきちんと向き合っていなかったのではないかと感じました。楽しいことでまぎらわしていたため、今まではふとした時にひどい孤独感におそわれることもありました。
 ミーティング、養成講座を受講後何故かわからないけれど朝起きるのが楽になりました。
 自分を肯定する気持ちになれたのかなとも思います。
 そして、会の皆様に出会えたことも、私の人生の中で大きな収穫になった気がいたします。

広報・池羽撮影

 

生き直しのために

Y・Y(東京都)

「心が疲れたときは体を動かす。体が疲れたときは心を動かす。」これは疲労回復の為の道だと三十数年前に父から教わった言葉です。これを、人には回復する力が備わっているんだよ、という教えだと受け止めていました。
 悲嘆の中でこの言葉を思い出しました。孤独と絶望の中でもわずかな光を見つければいいんだ、と気づいたのです。
 心身共に萎えた今は、目の前のことができた自分にOKマークをつけることにしたのです。朝、起き上がることができたらOK、メニューは何であれ一口でも食べたらOK、会社へ行けたらOK、社員に笑顔が出せたらOK、一時間でも睡眠がとれたらOK、空しくて哀しい時は鏡に向かって「たまらないよぉー」と言った後で笑顔が出せたらOK、読まなくても本を手に取ったらOK、こうして一日にいくつものOKが出たら「もしかして私って生きる力が残っているのかも?」と嬉しくなるのです。
 「ほほえみ」に加入して、交友関係が広がるにつれてOKが増えました。
 最近は、目の前の事から、近い将来の事へと気持ちが反応する日もあります。
 仕事という厳しく苦い薬とOKマークで自分を褒める甘い薬の相乗効果が表われ始めたようで、どうやら、これが私にとっての「生き直し」のコツだったように実感しています。

広報・池羽撮影

 

ミーティングに参加して

E・S(千葉県)

 一月上旬に妻の一周忌を済ませました。
 昨年十一月よりミーティングに参加し、そこで出会った八人の仲間と体験を語り合って共感し、悲嘆から立ち直るプロセスを学びました。四ヶ月間のミーティングもあっという間でした。受講者の皆さんも同じだったと思います。
 毎回、ミーテイング終了後は食事をしながら話し合いました。これを重ねるごとに各人の心の内を察せられるようになり仲間意識が強まっていきました。年の暮れと最終回終了後には「カラオケ」も楽しみました。今後も同期と時々会合をする約束もできました。
 妻が若年性アルツハイマー病で五十八歳から九年間の闘病生活、六十七歳で病院に十四ヵ月の入院の末、合併症「大腸、肝臓ガン」で逝ってしまいました。残念無念!
 長期の介護生活だったので亡くなった時は号泣したくとも涙がでてこないのは辛かった。そんな時にほほえみネットワークを知り、早速ミーテイングを申し込んだわけです。その頃、「千の風になって」がテレビから流れていて、これを聞くと心があらわれた気持ちになりました。
 これから、七月から始まる養成講座を受けて会の為に何かお役に立てればと思っています。
まだミーテングに参加されてない方ぜひ参加してみてください。きっと心が癒されると思います。

 

三回忌を迎えて

K・K(東京都)

 二年前の三月二十四日深夜、お母さんは「千の風」に吹かれて西方浄土とやらに旅立ってしまったね。
 今は、三途の川を渡り仏界から私を見守ってくれていますか?
 僕には、三回忌といってもお母さんの旅立ちがついこの間のことのように思えてなりません。
 結婚生活五十五年の内、三年間は闘病生活で苦難の道だったね。僕は今「康子」との生活で苦しかった事、辛かった事の思い出よりも楽しかった事の思い出ばかりが蘇ってきます。昨年から「ほほえみネットワーク」という配偶者を亡くした人達の会に入りました。同じ悲しみを持った人達と語り合い、慰めあっています。入会して一年たつと少しずつ心の傷が癒えてきています。
 次のステップはお前の七回忌まで頑張ることだと思っています。

 お母さん、苦楽を共にしてくれて有難う。

 

広報・池羽撮影

 

亡き妻へ、亡き夫への短い手紙

H・T(東京都)

 お母さんが逝って、十三回忌が過ぎましたね。過ぎてみて、もうそんなに…と思うけれども未だに二人での生活が忘れられず、一人で過ごしています。辛い時はほほえみの仲間に救われています。
 よき仲間を与えてくれてありがとう。

 

短歌

F・M(神奈川県)

  満天星 ( どうだん ) の朱極まれり亡き夫の  病思へば悔いの残れる
 喜びも悲しみも過ぎゆけり  のちいくばくか命寿ぐ

 

さくら・桜

T・I(埼玉県)

暖冬の二月、何時さくらが咲いてもおかしくない気温が続き、気象庁からは早々に開花予報も出されました。が、桜は三月の末から気温の低い日も続いたり霙が降ったり、結局は例年とほとんど同じに、お花見ができました。
 日本人は昔から桜を愛でてきました。西行法師の「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」や本居宣長の「敷島や大和心を人とはば朝日ににほう山ざくら花」など有名な歌があります。
 桜の開花に合わせて、各地の名所は人々でにぎわい宴が繰り広げられます。また、桜の潔く散る様に、わが国の人々は ( いにしえ ) より風情をも感じてきたのです。
 桜の寿命は、一般的に百年前後と言われています。しかし、全国に残っている桜の名木は千年を越すもがあります。例えば「 岐阜県 根尾谷淡墨桜」樹齢千五百年、 福島県三春町 の「三春の滝桜」は千年以上と言われています。
 私の夫は、くも膜下出血で突然亡くなりました。享年五十九歳でした。会社(宇都宮)からの連絡は「ただいま救急車で搬送」というものでした。飛び乗った新幹線(上野)の中、詳細はわからず、不安がいっぱいで息苦しく、じっと座席に座って居ることができませんでした。身の周りに五十代で夫を亡くした人は居りませんでした。周囲の人が皆、幸せそうに見え、友達からの励ましの言葉は、悔しく、疎ましく、少しも有り難く思えませんでした。
 平凡な家庭生活は穏やかに永遠に続くように思っておりました。

 身近な夫の死など考えられない日の出来事です。心の準備など全くできておりませんでした。
 朝、元気に「いっていらっしゃい」と言って送り出したのです。それが永遠の別れの挨拶でした。
 今も桜の下で夫に会えたら、どんなに嬉しいでしょう。

 

◆◆ほほえみ掲示板

 著名な料理研究家、浅田峰子先生からのお便りです。三月号の理事長の記事をお読みになっ て、お手紙を下さいました。
 『
ご送付いただく機関紙、今回の巻頭の死後についての文、大変すばらしいものでした。
  皆様それぞれの人生からの思いでしょうか?
  よい仕事、田代さんにふさわしいことと存じます。』