ほほえみ
ネットワークニュース
第83号 2007年7月1日発行

 

 『一期一会』

理事長
田代尚嗣

 人生とは困難の連続だとするならば、私たちは多くの「人生の節(ふし)」を乗り越えてきました。そこからの「学びと気づき」によって人は変化できるのです。それには「今、ここ」で出逢った人や体験などから大いに学び、出逢ったことを喜ぶ、そんな「一期一会」の心のあり方があれば、逢うべき人に逢えるのです。それは未だ見ぬ自分にも逢えるということなのです。(広報)

 人生で重要なことは出逢いである、と思います。 
 人生での出逢いの意味は人間ばかりではありません。自分を支え続けてくれた言葉、さまざまな事件や体験も出逢いなのです。人はこのようなさまざまな出逢いの中で生きていきます。
 哲学者の森信三先生は「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」と言っています。しかしながら、その人のレベル以上の出逢いは決してありません。なぜなら、せっかく素晴らしい人、言葉、体験に出逢ってもその出逢いを生かしきれない人にとっては、出逢ったことさえ意識されず無意味なもの、邪魔なもの、価値のないものとして目の前を通過していくに過ぎないからです。
  いうまでもなく、人生ではさまざまな困難を体験します。むしろ、「人生とは困難の連続」といってもいいほどです。その中でも伴侶を喪うということは最大の困難の体験といっ てもよいものでしょう。 
 私は前号で「人は年齢と共に個性 的になっていく」と書きました。 
 なぜなら、人生の困難の体験という 「人生の節(ふし)」を乗り越えることによって個性が出来ていくからです。  人生とは困難の連続とするならば、中高年者はたくさんの「人生の節」を乗り越えてきたことになります。そして、その「人生の節」を乗り越えるにはたくさんの「学びと気づき」が必要なのです。たくさんの「学びと気づき」は人を変化させていきます。だからこそ人は年齢と共に「確固たる個性の人」になっていくのです。
 伴侶を喪った方々にとって、当会の『ミーティング』はその節を乗り越えるための最適なチャンスなのです。どうか活用されることを希望します。 
 それでは「出逢い、そして学びと気づき」によって変化していくためには、一体どのような態度で人生に臨めばよいのでしょう。  禅で有名なものとして「莫(まく)妄想(もうぞう)」という言葉があります。「妄想するな!」という意味です。
  人は誰でもあらゆることに迷います。特に人生の困難に出逢ったときにはあれこれ考え、悩み苦しみます。しかし、いつまでも悩み迷っていても実は何にもならないのです。人は出来るだけ早いうちに「決める」「決断する」「決心する」べきなのです。そして、心を決めたら迷い悩むことを捨てることです。
  このように文字に書けば一〜二行で終わることですが、これが大変なんだよ――と皆様は思っておられるでしょう。しかし、そうでもないのです。
  ではどうするか。  「今、ここ」を大事にすることです。なぜなら私達は「今、ここ」にしか生きていないし、それ以外生きられないからです。過去はすでに過ぎ去ったものであるし、今にもどすことは絶対出来ません。そして、未来もまだこれからのことであって、どうなるかなど実のところ誰にもわからないのです。
 将来、「未来」がやってきてもそれは「今、ここ」にすぎないことなのです。過去を悔やみ、こだわり、無いに等しい未来に怯(おび)え、思い悩む、これほど意味のないものはないのだ、と悟ることです。 
 人に精一杯出来ることは「今、ここ」を生きることだけだからです。
 今現在の一瞬一瞬を完全に充実しきることです。 このような考え方、生き方によってしか「悲嘆」から抜け出られないし、「逢う」ことも出来ないのです。今、私が逢っている人に精一杯逢おう。そして、大いに学び、気づき、逢ったことを楽しもう。
 過去に逢ったことがある人であっても今、ここで逢うのは今だけだ。将来また逢ったとしても、異なる状況、状態の中なので、今逢うのは今だけなのだと思って逢う。このような逢い方を「一期一会」といいます。この精神、この心のあり方があれば、「逢うべき人に逢った」ときに確実に「逢う」ことができるのです。
 厳しい現実から逃げたいために過去にこだわり、ありもしない未来を夢見ることは愚かで、妄想の世界に生きることと同じなのだ、と悟るべきなのです。
 人は生きている限り出逢い、学び、気づき、無限の前進をすべきなのです。そして、無限の変化をとげていくべきなのです。
 人生とは無限に変化した未見の自分と出逢う旅なのです。

 

初夏の尾瀬沼と燧ケ岳

 

柿沼勇夫さんの絵手紙

 

 

「リライフの会」について

HT(理事)

 リライフの会は同じ死別の体験者が気軽に集まって飲食を楽しみ語りあう会です。
 特定のパートナーでなくとも気軽に話のできる異性の知り合いができることで寂しさを軽減できると思います。ここしばらくお休みしていますがリライフの会の食事会も気軽に集まれる場としての意味合いもありました。特段、出会いの場を目的とはしていませんでしたが少しでも異性の存在を意識することで服装に気を使ったり死別後の「ぼろぼろ状態の心」から抜け出すために役に立っていたと思っています。
 出会いを意識した集まりを開いてほしいといった要望も時々耳にします。しかしあまり強く出会いを求めているとよい出会いにはつながらないように思います。
 死別による心のダメージでまともな状態ではないこともあるので冷静な判断も必要です。お互い十分な人生経験を経たもの同士だからこそ無理のない、よい付き合いができれば素敵な生き直しができると思います。
 今までリライフの会の食事会で当日突然のキャンセルが出ることがよくありました。急に落ち込んでしまったり精神的に不安定になるのも理解できます。ただそのために予定していた会費が不足することもあり、担当者は頭を悩ませなければなりませんでした。
  いろいろ行ってみたいお店はたくさんあるのですが、このような直前の人数変更に対応してもらえる店は限られてしまいます。そこで今後は前もって会費を入金していただく方法にする予定です。
  そうすることで予約が取りにくいお店や、ちょっと高いけど変わったお店など、今までよりも楽しい企画を考えることができるからです。
  また、先ほど述べましたように出会いの会のような要望もあるので、そういった企画をたまにはやってみようかとも思っています。今までは奇数月の第三土曜の夜に開いていましたが、これからは固定せずにやってみるつもりです。
  こんなことをやってほしい、どこそこで食事したいなど意見や要望があればぜひ事務局まで。

広報・池羽撮影

 

縁は異なもの味なもの

J・O(京都市)

 気がついたら夫婦になっていた。なんとも不思議な縁の夫と私でした。 
 二人の出会いは平凡な見合いです。 母は私が二十歳になると「小姑が家にいたら長男に嫁がこない」、といろいろな知り合いに私の縁談を頼みまくりました。その中の一人、夫の叔母にも頼みにいったのです。その叔母さんの姉の長男とお見合いすることになったのです。
  この叔母さんも母も同郷で、私の祖母は義母とこの叔母とも大変仲がよかったのです。
 私も夫の写真を見たとき「会うくらいはいいかな?」と軽い気持ちで瀬戸内の小さな島にある夫の家まで行ってお見合いをしました。二十歳の私は初めてのお見合いです。会ってみたら「この人ならズーット一緒に暮らせそう・・・」なんて気持ちになり見合いからわずか三ヶ月で瀬戸の花嫁になりました。
 結婚後、夫曰く「お前は遊びでお見合いしただろう!」なんて言われましたが、確かに二十歳の娘のお見合いは興味本位で出かけて行ったものでしたが、簡単に釣り上げられてしまいました。
 父親を七歳で亡くした私は七歳年上の夫に父親をかんじたのかもしれません。優しい人で私は夫の手の中で守られて生活していたようです。 唯一、不満だったのは夫がセッカチだった点!一緒に歩いていても背が高くて早足の夫について行くには 私はいつも小走り、何をするにもサッサと済ませてしまい私に「グスグスしなさんな」と言っていました。 歩くのも、何をやるのも手早くて、 人生まで手早く終了することはないのに・・・。わずか四十八年で人生の幕を引いてしまいました。 私だけが置いてきぼり、アッという間の二十年の結婚生活でした。 夫が逝って九年。今は娘二人も自立し私は夫と暮らした嫁ぎ先を出て京都で一人暮らしです。夫の思い出が詰まった島の家で暮らし続けるのは辛いものがあったからです。
 将来、私があの世に逝ったら、また夫と見合いが出来るかしら? 夫は四十八歳のまま!
 私はハテサテ老婆になってたりして・・・。奇妙なお見合いになりそうです。

広報・池羽撮影

 

再婚を考えた時

K・K(東京都)

 死別後はなんと言っても、寂寞の思いの日々でした。なんとか子供達の世話にならずに生活する方法をと、有料老人ホームのパンフレットを取り寄せ各所の見学もしました。しかし亡き妻との思い出の家から離れる事や、集団生活を強いられる事、そして何もかも面倒見てもらうことは、認知症に早くなるのではという思いから断念することにしました。
 そんな時、お隣の奥さんから「再婚をされたら」の声がかかりました。この言葉で、フト思い出したのは、妻が病床で「貴方、再婚して良いからね」の一言です。今でも耳から離れません。あの時は聞き流してしまいましたが、妻が私に寄せた最後の思いだったんだと胸が痛みます。そして、次第にその思いに押されるような気持ちになりました。
 先ずは一周忌を済ませ、妻の遺品整理を完了。その後、結婚相談所のカウンセリングを受け、申し込み、 数回お見合いをしました。 
 しかし、話を進めていくには、子ども達に理解を得る事、入籍婚の場合は相続の事、事実婚(夫婦別姓)の場合は遺贈の事(税金のことも含む)、女性側の遺族年金の受給権の消滅。それにお墓の問題等も多々有ります。個々の問題点は、紙面の関係上、省きますが不成立と成りました。
  一ヶ月に一人のペースでのお見合いでしたが。先ずは疲れました。亡き妻とは恋愛結婚でしたので、お見合いの難しさを実体験しました。
 大いなる「愛」を失い、「再出発の特効薬は愛である」の言葉を噛み締めなおしている所です。

 

生き直しと出会い

T・H(東京都)

 妻を喪ってまもなく六年が過ぎようとしています。今は辛かった死別も貴重な体験と前向きに思えるようになり楽しく充実した日々を送っています。このようになれた一番の要因が「新しい出会い」でした。「ほほえみ」ではこのことは今までは触れてはいけないような風潮がありましたが自分の体験として死別からの生き直しに大きな影響力があると考え述べてみることにしました。
 新たな出会いのきっかけは死別から一年半程過ぎた「ほほえみ」の集いで、メールアドレスを交換したことから始まりました。ほとんど立ち直ってはいましたが仕事と子育てに追われて不安な気持ちになるときもあり、私よりも一年以上も早くご主人を亡くされた死別の先輩である彼女に相談するなどメールのやり取りを続けていました。その後私が食事に誘い何度か飲みに行ったりしているうちにお互いの気持ちが高くなり現在に至っています。
 ここで重要なのは、彼女に会うまで私はまったく新たな出会いなど頭になかったと言うことです。亡くなった妻が私の人生で最後の女性であり、再婚はもちろん他の女性と付き合うことなど考えもしませんでした。新しいパートナーを求めていなかったからこそよい出会いにめぐり会えたような気がします。最愛の伴侶を喪ったからといって「寂しさから逃れるための代わり」を探してはならないと思うのです。
 私には息子がいます。家内が他界したとき小学校二年(現在中学生)。がんばってここまで育ててきました。息子にとって新しいお母さんは必要ないし、お母さんは亡くなったお母さんただ一人です。息子と二人だけの家族でいるときの姿と彼女と二人の熟年カップルの姿でいるときをはっきりと使い分けることが大切であるし、このことが日々の生活の充実感につながっているような気がします。
 死別から一年過ぎたころ、辛さや苦しさは時間とともに和らぐようになりましたが、寂しさや虚しさを強く感じるようになっていました。だからといって新たな出会いを求めようとは思っていませんでしたが、結果的に彼女との出会いにより寂しさや虚しさから開放されました。死別の寂しさを紛らわせようと旅に出たり趣味のサークルなどに参加して仲のよさそうな夫婦やカップルを見かけると嫉ましい気持ちになりましたが、今は全く気にならなくなりました。
 卑屈な気持ちがなくなり亡くなった妻のことは良い思い出として心の引き出しにきれいに納めることができました。新たな出会いによって自分自身も生まれ変わったような気持ちで元気に生きています。

 

広報・池羽撮影

 

亡き妻へ、亡き夫への短い手紙

Y・K(東京都)

 家内が急性心筋梗塞で突然逝って今日で六十九日経ってしまった。
 その大きなショックで空しさと寂しさの毎日でした。
 四月二十二日のお話会に初めて参加しました。テーマが"感謝に生きる"でした。
 今まで五十余年苦楽を共にして来た家内に感謝の気持ちが湧いてきました。この気持ちを大切に前向きに生きる事が出来るよう願っています。

 

◆◆ほほえみ掲示板

 ※「ほほえみ」は皆様の会です。共に育てていきましょう。
 理事長のお書きになった、哲学者、森信三先生の言葉に「上役に楯突くことを以って快とする人間は到底大器にはなれない」という言葉があるそうです。上役とはいわゆる上司ばかりでなく他人とか、組織とか団体と置き換えてもよいのでしょう。単に楯突いて批判のための批判をする人はどこにもいるものです。 この会にもいらっしゃいました。具体的なアイデアもなく、やり抜く知恵も勇気もなく努力もしないで批判だけをする人は心から「かわいそうな人」と思います。せっかくの人生を無駄にしていく人なのだと思います。(理事会)

 

編集後記

 今月号は主に「出会い」を基調と して構成しました。  まもなく七夕。朝露で墨を摺った 昔を思い出します。二年前には夫の 穏やかな最期を願い、昨年は死別か らの立ち直りを願いました。  今年の短冊にはなんと書きましょ うか。(広報)