ほほえみ
ネットワークニュース
第84号 2007年9月1日発行

 

 『思い出にかえるために』

理事長
田代尚嗣

 死別の悲嘆を胸におしこめて、「ほほえみのミーティング」にたどり着く人がたくさんいます。
 大切な人との別れ、その悲しみと決別するために・・・。そして、大切な人に別れを告げ、そこから全てのことを思い出にかえ、愛した人をとりもどしてゆくために・・・。
 大切な人はあなた自身の中に生きつづけているのです。
 やがて、これからどう生きるかに思いを馳せ、その意味を見つめていきます。(広報)

 別れはどんな人にもやってきます。
 私たちにとって、大事な人を喪(うしな)った場合の悲嘆ののり越え方はただ一つしかありません。
 死別した事実を認め、悲しみ、怒り、罪悪感、悔しさなどの感情を受け入れることです。
 この過程を通してのみ心の回復はできるのです。
 このプロセスをキッチリと経ない限り、心や身体にさまざまな問題が起こることになります。
 原因不明の抑うつ感、食欲不振、不眠などの背景には、不十分な受け入れ方がかくされているのです。
 そのためには、自分の死別の悲嘆の感情をしかるべきところで気がすむまで吐き出すことです。
 つまり、自分の感情を自分自身で受け入れることが肝心なのです。
 これをしない限り、大事な人と「別れを告げる」ことが出来ないのです。
 この後、これから自分はどのように生きていくのかをハッキリと自分の言葉で話すことです。
 言葉は人の心を規定していくか
らです。
 この時点までくれば、多くの人は自分の心が今までとちがってきていることに気づいていきます。
 そして、大事な人とのことは思い出にかえていくことです。
 これは愛した人をとりもどしていく過程でもあるからです。
 そして、思い出はすべてのことを「楽しかったこと」に、時と共にかえてくれます。
 楽しい思い出がたくさんあればあるほどその人は幸せです。
 なるべく早くこの過程をふみ思い出にかえるために、当会の「ミーティング」が存在しています。
ですから、私共のミーティングを是非ご活用いただき、前に進む勇気と元気を獲得してください。
 このような過程を経て、人の心は必ず変化し、それにつれてあなたの周囲も変化していきます。
 また、人はいろいろな関連性の中で生きています。
 人との関係、社会との関係を断って生きることは不可能です。
 当会で前に進む勇気と元気を得たら、これらの関連性の再構築を少しづつしていくことになります。
 では、大事な人を思い出とするに際して、大事な人はどこにいると考えればよいのでしょう。
「人はどこからきて、どこに行くのか」は、古来からの、人としてどのように納得するかの重要なテーマだからです。
 それは、あなたの心の中にいると考えればよいと思うのです。自分の心の中に思い出として生き続けていると考えるのです。
 「私はお墓になんかいません。私は千の風になって、光となって、雪となって、あなたのそばにいるのです」という歌が流行(はや)っています。 仏教では、お墓は、親から子へ、子から孫へと連綿と続く「生命の連続を感得する場」としています。
 大事な人がそこにいるとはしていません。
 宗教は「浄土にいく」「天国にいく」として、だからここにはいないのだ、としています。
完全な別れを求めるのです。
 このような考え方は、過去も現在も未来も人がよりよく生きていくために必要なことだったからなのでしょう。
 人はいずれ誰でもがこの世を去ります。その時、共に生き、そして一人で生きた永遠の思い出と、たくさんの永遠の関連性を感じ、頭にうかべながら死んでいくのです。
 つまり、人の最後の一瞬は永遠に続く生命と思って、夢みるごとく眠るがごとく死んでいくのです。
短い時間の中で、生まれてから今日までのさまざまなことを思い出し、走馬灯のように思い浮かべながら、それを「永遠」としてです。
この最後の一瞬が、その人の人生が幸せだったか否かを決めるのです。
その最後のときまで、人は自分なりの幸せを求めて努力すべきなのです。
   年月は、人間の救いである。
   忘却は、人間の救いである。

                           (太宰 治)
そして、思い出もまた、人間の救いなのです。

 

悠久の時を経てなお廻り続けるオランダの風車(写真 広報担当)

お話会

K・S(専務理事)

 「お話会」は設立から十余年、平成十四年にはNHKの「生活ホットモーニング」にも取り上げられ、一度も休むことなく継続して開催しています。
 配偶者が亡くなってしまったのはどうしょうもない事実。でも少しでも早く立ち直り、生き直したい・・・そんな思いで毎月第四日曜日には埼玉、千葉、神奈川から四谷のルノアールに集まってきます。お互いにそれぞれのつらい体験を話し合うことによって、生きる勇気とヒントをみつけあうのがこの会の目的です。
 これからどう生きるか、という前向きな雰囲気の中で会は進行します。
 帰りには、心が癒された、とても参考になったという率直な感想をたくさんいただきます。
 今年二月二十五日には初めての試みで「筆跡が変われば考え方も人生も変わる」というテーマで小泉前総理、安部首相等の著名人の筆跡を参加者と共に見ていきながら筆跡診断学、深層心理の話題を交え私自身の専門の話をし、筆跡をみれば性格や考え方がピタリと当たるということには「そんな〜」という和やかな一幕もありました。
 また、五月二十七日には「人間関係の悩み・トラブル解消法」のテーマでは小林正観氏の「ありがとうの奇跡」について、話をしました。二万五千回〜五万回「ありがとう」を言うと不思議な現象が現れるというお話です。
 人間関係がうまくいくようにするには、もう一度自己を見つめ直し挨拶は自分からする、お互いの美点を見つける、聞く力をつける、すべてに感謝し、心からありがとうと言うこと・・・など有益な話し合いができました。
 お話会の後は恒例の食事会です。これを楽しみに参加する人もいます。 
 いつも明るく楽しく和やかなお話会に、皆様、是非参加なさいませんか。お待ちしております。

 

風になった人へ

I・F(千葉県)

 暑中お見舞い申し上げます。
 花火が夜空を彩り夏本番です。
 あなたはお祭りの好きな人でしたね。今頃はどこで花火見物をしているのでしょうか。
 お別れして、もう十年の月日が流れました。いつまでも側にいてくれる人と思っておりました。
花や木など全て自然界も常に変化しているのに、あなたへの想いが深くて、その季節の移ろいに深く目を向けずに生きてきてしまったことが悔やまれます。
 でも最近、長い間の孤独と寂しさの中にも小さな灯りを見つけることがようやっと出来ました。
 そして、まわりに自分を助けてくれる人が欲しいと考えたり、甘える人が居ない寂しさをかかえながらも、これで良しとするもう一人の自分に気づきました。
 気ままな一人暮らしの中で、自然を相手に田畑を耕し息子達の故郷を、生きている限り守ってやらねばという思いもあり、自分にも役に立つことがあると思いながら過ごしています。
 連れ添って四十五年の出来事は大河ドラマとなって心の中にしまい大切にしております。そして折にふれ巻き戻し、再生して見ています。

 ほほえみの風に癒され十年の過ぎし年月夢の如くに
 ひまわりに今日の元気もらいけり
            古希の妻より

 

出会い

M・H 旧姓M・N(岐阜県)

  若くして死別した人が新しい家族を得た感動のお便りです。広報

 先日、わたしにとって人生の大きな出来事がありました。
 第二子の出産です。
 主人と息子が立ち会ってくれて感動的なお産でした
 昨年の夏、はじめてほほえみの会の門を叩き、養成講座やミーティングを受けさせていただいた時にはまだ予想もしなかった・・。
 私にはまだまだこれから先の人生、やるべきことが沢山あるのではないか、周りにいる人達に目に見える事、見えない事、してもらっていることがいかに多い自分であるかに気付かされ、いつかその人たちに喜んでもらえることをしたい・・。
 昨年のミーティングでそんなことを感じてから約一か月後息子にとっても身近な存在であった主人との間に新しい命が授かったことを知りました。
 今まで、家族という形に捉われない私達でしたが、新しい命の誕生をきっかけに家族になりました。
 あの、辛い悲しい出来事がなかったら決して出会っていなかった私と主人。決して生まれていなかった命。
 私は今、これで、この人生でよかったと思っています。
 別れがあって、出会いがあった。
 きっとあなたがしあわせになれよってひきあわせてくれた。
 出会いをありがとうといいたいです。

 

今日この頃

T・A(千葉県)

 女房の一周忌が過ぎました。一昨年の三月末、女房は末期のすい臓がんと告知され、十四ヶ月間の闘病も空しく昨年五月末に逝ってしまいました。私は入院期間の殆どを付き添い、病院から会社に通っていました。朝は体を拭いてやり着替えさせ、夜は病室で夕食を共にし、簡易ベッドで女房の傍で寝る毎日でした。
 妻は「お父さんが定年になるまでは生きていたい。定年後一日でも二日でもいいから一緒に居たい。そうなったら二人の指輪を作ろう」と言いました。一年半後に定年を迎える頃でした。笑顔で「そうしようね」と言いながらも「それは無理だろう」と心の中で泣いていました。五十四歳という若さは「もっと生きたかったろうに」と女房の無念さを思うと辛さ以上に不憫でなりません。
 告知の時「手術はできません。抗がん剤が効いても六ヶ月の命です」と言われました。しかし、医師や看護師さんたちの懸命の治療と看護のお陰で十四ヶ月間も生きることができました。結婚三十年間の中でこの十四ヶ月ほど大切に思った時間はありません。その間、病室で結婚三十周年を祝い、五十四歳の誕生日も祝い、お正月は一時帰宅を許され家族一緒に年越し蕎麦を食べながらNHK紅白を見ることができました。又病室の窓からですが発病後二度目の桜を見る事ができました。女房は告知された当時は心が荒れていましたが次第に穏やかになり、死の二、三ヶ月前頃に「お父さん、ありがとう。良い人生だった」と言ってくれました。私は今もこの言葉に救われています。自分でも死が近いと悟ったのでしょうか、こん睡状態になる直前に「私が死んだら、一晩でいいから自宅につれて帰って欲しい。そして、私の傍で一緒に寝て欲しい」と泣きながら言いました。私は、そのとおりにしてやりました。
 伴侶を亡くすことはとても辛いことですが、私たち夫婦に十四ヶ月という貴重な時間を与えて下さった医師と看護師の皆様そして神に感謝しています。その間ずっと女房に付き添ってやれたことに満足しています。
 「生まれるのも一人、死ぬもの一人」と言われます。しかし、人は決して一人だけでは生きては行けないと思います。「遺された者は自由になった」と言われます。しかし、女房を亡くすという犠牲を払ってまで得たかった「自由」ではないのです。むしろ、その「自由」が苦痛でさえあります。
 葬儀、四十九日、新盆までは気が張り詰めていましたが、一連の仏事が終わった八月半ばから「絶望感」「孤独感」の中でこのまま奈落の底に落ちて行くのではないか、気がおかしくなるのではないかという恐怖に襲われました。
 八月のある日、図書館で「夫婦が死と向き合う時」の本で初めて「ほほえみネットワーク」を知り、直ぐに連絡をとりました。私は苦しみのどん底で「助けて下さい」と電話口で叫びました。電話に出られた方から「“ほほえみ”にいらっしゃい。きっとあなたの力になれると思います」とのやさしい言葉を頂きました。
 私はその時「これでやっと救いを見つけることができるかも知れない」と思いました。九月の集中ミーティングに参加でき、また「談話室」「お話し会」などにも参加させて頂き、通常ミーティングも受けました。その間、私と同じようなあるいは私以上に過酷な体験をされた方々を知り、何か「戦友」「仲間」を得ることができた様に思え「自分は一人ではない」「一人だけで悩まなくてもいい」「自分の話を聞いてくれる人達がいてくれる」「思いっきり泣いてもいい」と考えられるようになり、気持ちも少しずつ落ち着いて来ました。以来、私にとって「ほほえみネットワーク」は駆け込み寺のような存在になっています。これからもいろんな行事に参加して皆様と交流して少しでも元気を取り戻したいと思っています。
 「ネットワークニュース」に「行動したことより、行動しなかった後悔の方が深い」という言葉がありました。女房の「お父さん、ありがとう。良い人生だった」という言葉とこの言葉を噛み締め、悲しみから立ち直り前向きに生きたいと思います。そして、あの世で女房に会う時「立派に生きたよ」と報告できるようになりたいと思う今日この頃です。

 

 

亡き妻・亡き夫への短い手紙

K・K

 新居に引越して、「これから二人であちこち歩きましょうね。」と約束しましたのに・・・
 何故一人で逝ってしまったの?
 検査入院で、すぐに帰って来られると思って、私が病院に連れて行き、こんな結果になりました。本当にごめんなさい・・・。
 今さら後悔してもあなたはもう私のそばにはいない。毎日寂しいです。これからどうやって生きていけばよいのかわかりません。
 今までみんなを守って下さってありがとうございました。

 

編集後記

 私だけを見つめてくれた人。
 年経たりゆかりの人幾たりも
 逝きて今年十三回忌
             (広報)