ほほえみ
ネットワークニュース
第86号 2008年1月1日発行

 

 謹賀新年
 自分らしく生きる知恵として

理事長
田代尚嗣

「新年号ですからね」と念をおされて広報部から原稿を依頼されました。もう新年号なのかと思いつつ、今年、私が書いたニュースの原稿を改めて読み直してみたら、仏教用語がたびたびつかわれているのに自分でも驚きました。
 無明の闇、引導を渡す、色即是空、執着、中道思想、生老病死、一期一会、莫妄想・・・。
 仏教書は確かに今までに四〜五冊、いくつかの出版社から出してはいますが、内容は極めて客観的に書いてきたつもりでした。今回、自分のニュースの原稿を読んでみて、仏教が自分の物の見方、考え方の基本ともなっていることに改めて気づかされた次第です。
 皆様方にとっては、仏教用語やそれについての思想、考え方を知ることはあまり関心はないのかも知れませんが、新年号ということもあって少しおつきあいいただければ幸甚です。
 今まで私の原稿の中でふれた言葉のなかで、比較的、内容について触れなかった用語は『空』と『縁起』だったような気がします。
 それでは『空』とはなんなのでしょう。どのような思想、考え方を意味しているのでしょう。
 一言でいえば、この世のあらゆるものや事象(ことがら)は絶対的なものではないということです。
 例えばここに一千万円のお金が積まれているとします。これを大金と思うか、たいしたことはないと思うかはそれぞれの人の見方次第だということです。そして、大金だと思った人でも三年後にはたいしたことないなと思うかも知れません。このように一千万円の金額自体には絶対不変の特別な見方も考え方も、物差しさえないということです。それをどう見るか考えるか、 ( はか ) るかはそれぞれの人次第だということです。
 「死別」という事象があります。世間的には「悲嘆」という言葉と直線的に結びついていきます。それも間違いではないし、当然とも思えることなのです。しかしながら、それが絶対的存在として永久にあるわけではありません。このことも間違いではないし、当然とも思えることです。つまり、どのように見ても考えても計っても、それはそれで正しいのです。要するに、仏教では一千万円や死別ばかりかすべてのこと、人生そのものを『空』と見るのです。
 ですから、世間にふりまわされたり、他人の言動に惑わされる必要はないのです。このことを知っていると自分らしい楽な人生が生きられるのです。
 『縁起の思想』についてですが、ある一つの結果が出てくるには必ず原因があります。原因がなければ結果はないことは、一般的に誰にとってもわかることです。このことは「因果」とか「因果の関係」といわれてよく知られています。仏教ではそれに『縁』が加味されると説くのです。
 例えば咲いているヒマワリの花があるとします。咲かせるには、種(因)がなければなりません。それを日の当たる土に蒔いて、水分を与え適当な温度
(これが縁)があって初めてヒマワリの花(果)が咲くのです。
 つまり『因』は『縁』があってはじめて『果』となるのです。
 あなたは今、「死別」したため、うつうつとして楽しめない状態にあるとします。自分では、無理をして散歩したり、働いてみたりしてなんとかうつ状態から抜け出そうと努力しています。少しは効果はあったようですが、それ以上はどうしようもない状態です。つまり、回復という『果』が得られるのは努力するという『因』だけでは無理なのです。『縁』が大きく作用しなければ『果』は得られないのです。
 すなわち、すべてのことは努力に付随する『縁』次第なのです。私たちがどんなに努力してもそれだけでは思うがままにはできないのが真実なのです。仏教ではこのように考えます。そして、『縁』は知恵でもあるのです。
 それでは、この会での死別した方々、皆さんにとっての『縁』とは一体なんなのでしょう。
 いうまでもありません。ミーティングを受けること、談話室に参加すること、お話し会に参加すること、リライフの会に参加すること、旅行やカラオケなどに参加することなのです。会場となるところまでいくのは、あなたの努力です。
 あなたが参加した会が、あなたをうつ状態から脱却できるところまで運ぶ(縁)ことで『果』を結ぶことができるのです。
 といいますのは人には人間同志でつくる「場」が必要で重要なのです。喜怒哀楽を共有できる場は人と人との共鳴作用が生まれ、共に「生きている」ことを確かめることができるからです。
 そのためには、人と人が同じ時間、場所に存在することが必要で「いま・ここ」こそ最も適しているのです。誰でもが他者にはなり切れなくとも、共に体験したときは、自分を超えて他者の視点、他者の心に立って新しい「気づき」をもつことができるからです。
 さらに、日常のありふれた言語、非言語によるコミュニケーションを通じた他者の気持ちの理解、共感、相手の感情の機微の察知、話しの間、受け答えの間、タイミング、話の内容の限界への配慮、それらを判断し行動することは人を生き返らせ、成長させるからです。
 自分だけの力で、思うがままに出来ることはこの世にはほとんどありません。
 このような考え方、見方が仏教の『縁起の思想』なのです。

 

夫の生地にて

M・H(千葉県)


 
親の死・・
  あなたの過去を失うこと
 配偶者の死・・
   あなたの現在を失うこと
 子どもの死・・
   あなたの未来を失うこと
 友人の死・・
   あなたの人生の一部を失うこと

       アール・グローマン(アメリカ)

 「今夜は泊まって下さい。」看護師の言葉に氷りついた。入院して九日目の深夜、心電図が正常に戻り、夜明け前に消えた。検査を受けて一ヶ月のことでした。仕事を休む日が続いたが夫は検査を受けようとしなかった。会社から検査入院し末期の癌と知らされた。夫の後ろ姿や一人で結果を聞いている私が今でもフラッシュバックする。
 小舟に乗って水門を抜け、土手で雲を追いかけた四十五年前、夫の生地はのどかで、それでいて時々大あばれする坂東太郎(利根川)は静かに流れていた。
 今年六月に研究課題でこの地を学友達と訪ね、古老から歴史を学んだ。はるか昔、栄え、争いがあったとは思えないほど川も時間も静かに流れている。
 時の流れは巻き戻せない。夫と重ねた人生の一歩目、二歩目の日々は思い出を残し十五年前に失った。
 夢の中を四十五年が駆け抜ける。私は三歩目を、そして四歩目のステップを踏もうとしている。

コスモスの頃―あれから三年

F・N(千葉県)

一時退院で帰宅した妻は、早速親しい友達三人を誘って近くの小さなコスモス畑にいきましたが、しばらくすると靴を泥だらけにして戻ってきました。あぜ道に密生していたクレソンを摘もうとして脚を滑らせてしまったというのです。
 がん末期ですっかりやせ衰えた身体を地に這わすようにして、それでも嬉々とした表情でクレソン摘みに熱中していたようで、友達は制止するのをためらう程だったと話してくれました。
 摘んできたクレソンを食卓の上に山にして、満足そうに友達と語り合う妻を見て私も久しぶりに心が安らぎました。
 しかし、危惧していたように、その晩から高熱を発して再入院し、二度と帰宅することなく、十月三十日に未知の国へ旅立っていきました。
 あれから三年、妻がこの世で最後に遊んだコスモス畑はすっかり耕されて元の野菜畑に戻り、コスモスが隅のほうにわずかに咲いているだけです。その花の中で童心に返って戯れる妻の姿が今でも、鮮やかに浮んできます。
 よき日々をありがとう。

 

夢でも会いたい

T・H

   不思議な目覚めだった。
 身体は妙に重苦しいのに、心臓の鼓動は早くて、今まで必死に走っていたような感覚。
 夢の中で会ったのは確かに夫だった。でも顔が思い出せない。大勢の中で夫とはぐれた私は、その背中を探して動き回っていた。
 「どこにいるの?」そう叫んでいる自分がいた。
 そして、やっと夫の背中を見つけた。「なんだぁ・・・上着を脱いでいたからわからなかったよ!」と私は言った。その言葉に返事はなかったような気がする。
 はっと目が覚めた時、もう夢は終わっていた。ほんのわずかの時間のような気もするし、ずうっと長い間、その夢の中で走っていた自分がいたような気もする。
 何年も夫の夢など見ることはなかった。どんなに辛い時も、夢にさえ現われることはなかった。
 ああ、今、どんな会話をしたのだろう。どんな顔をしていたのだろう。もう一度夢で会ってみたい・・・。
 私は目を閉じて、さっきの夢を何度も何度も思い出していた。その夢の断片をつなぎ合わせて、見終えたばかりの夢を見続けようと必死だった。けれど、所詮、夢は夢。夢の続きなど見られるわけもない。必死に願えば願うほど、神経が敏感になっていくようで空しかった。
 この次に会えるのはいつだろう。
 どうしたら夢に出てくれるのだろう。そんなとりとめのないことを考えてしまう。
 どこからか、窓を開ける音や水道の蛇口をひねる音、犬の鳴き声や車のドアを閉める音などいつもの朝の音が聞こえ出し、静寂な時間は破られてしまった。
 そして、耳元で私を現実に引き戻すかのように、けたたましく目覚まし時計が鳴り響いた。
 夢でもやはり夫に会いたいと思う。

一枚の写真

T・I

風の便りに、在学中、口角泡を飛ばして議論し合った友がこの夏声帯を切除したという。
 今は、癌イコール死ではないと言われるが、高い死亡率に変わりはなく、術後どうしているか気になりつつ、声をかけるのを躊躇していた。奥さんから「今後一切電話は不要です」と言ってきた。確かに今は会話ができない。本人も校友会を退会すると言う。
 私は、ふと思い立って、渡し損ねた花見の写真をポストに入れてきた。すると、すぐにメールが届いた。
 「うれしかったよー」と…
 たった一枚の写真が凍りついた心を開かせたのだ。
 私の夫は十三年前の十二月、会社で倒れ、二週間後に息を引き取った。クモ膜下出血だった。
 当時、宇都宮までの遠距離通勤で真冬は薄暗いうちの出勤。疲れがたまっていたのだろうか。
 夫を突然亡くした私に、友達は「お気の毒に」と声をかけてくれるが、私には「お可哀想なあなた」と哀れみを持って、自らの幸せを誇示するように聞こえ、悲しさや、辛さはいや増し、悔しくて、素直にお礼などを言えなかった。
 少し時間がたつと「あら元気じゃない」とも言われる。
 「元気じゃいけないの」「他人の不幸は蜜の味ともいう」と口にはしなかったが、何を言われてもありがたく思えず、友達を避けていた。
 本当に辛い時はどんな言葉も慰めにはならない。
 でも全ての交友関係を絶っていたら孤独感は増し、辛さが募っていっただろう。
 どんな時も暖かく見守る家族がいて友達が居る。私はひとりではないと思えるようになった時、励ましの言葉が胸を熱くし感謝の気持ちが広がっていった。

亡き妻・夫への短い手紙

最愛の貴女が逝って早八ヶ月

YK( 東京都 )

 今年も庭に貴女が丹精して育てた秋薔薇が美しく咲きました。
 貴女を想いながら下手な俳句を作りました。
   薔薇の赤想いを託す墓前かな
   妻は逝き一人寝の部屋風寒し
   秋深し一品添えて一人膳

貴方ありがとう

M・N

 あなたが逝ってもう六ヶ月も経ちました。今年の冬頃までは生きていてくれると信じていたのに。どれだけの涙を流したことでしょう。
 あなたとの思い出づくりの為にいろいろな所に旅行しましたね。
 夢を見ました。あなたと旅行している夢は、お花がきれいに咲いていました。夢でしか旅行できませんが、また逢いたいです。
 お父さんいままで、本当に有難う。

思い出

S( 東京都 )

 あなたとお別れして、もう十年になりました。考えてみると早いようであり、長かったようにも思えます。
 あなたとの思い出はたくさんあります。一緒に旅行にいきましたね。家事もよく手伝って下さいました。私の洋服を買って下さいまして本当にありがとうございました。身体の弱かったあなたがよく働いて下さいまして、そのお陰で私は年金を頂き楽に暮らさせていただいております。
 あなたの写真を見ていつもありがとうと言っています。
 なんであんなに早く天国へ逝ってしまったのでしょう。
 あなたに甘えていた私は今、淋しくて相談する相手も無く暮らしております。もっと強くならなくてはいけませんね。

歳時コラム

 日本には、日本人が長い歴史の中で培ってきた、生活に密着した様々なしきたりや伝統行事がありますが、戦後驚異的な発展をとげ、世界に冠たる経済大国になった陰で多くの行事が忘れられつつありますが、いまだに私たちの生活に息づいているものも少なくありません。
 そこで、今回はこのような年中行事、しきたりとその歴史的由来を改めて井伊倉晴武さんの著書から探してみました

年中行事のしきたり
   節分:どうして煎った豆をまくのか。

 二月三日(年によっては四日)の節分には、多くの家で豆まきをします。また神社やお寺でも、その年の干支生まれの年男たちが、集まって人々を前に豆まきをしたりします。
 元々節分とは、立春、立夏、立秋、立冬など、季節の改まる前日のことを呼びましたが、次第に立春の前日だけを節分と指すようになりました。この節分を境にして、暦の上では翌日から春になります。
 古代中国では大晦日に、邪鬼や疫病などを打ち払うため、鬼の面をかぶった人を、桃の木で作った弓矢で射って追い払う、「追儺(ついな)」という行事がありました。
 これが奈良時代、日本に伝わり、平安時代には宮中で大晦日の行事として、盛んに行われるようになりました。この頃には、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して家の門にかかげる、節分特有の飾りも広まって行ったようです。ヒイラギは毒草でトゲがあり、またイワシは生臭物であったため、魔除けの効果があると信じられたのです。
 豆まきの行事が定着したのは室町時代中期以降のことで、江戸時代になると、現在のような豆まきの行事が一般庶民の間にも広まりました。本来は大晦日の行事でしたが、旧暦では新年が春から始まるため、立春前日の節分の行事に代わって行ったということです。
 ちなみに、「bヘ内、鬼は外」と大声で豆をまくのは、季節の変わり目は、鬼などの妖怪や悪霊が集まり、疫病や災いをもたらすと考えられていたため。豆をまくことによって自分の家から鬼を打ち払おうとしたのです。
 煎った豆は福豆と呼ばれ、その豆をまき、自分の年齢の数だけ(或いは年齢の数プラス一個といった地域もある)食べることで、邪気を追い払い、病に勝力がつくと考えられました。また、「豆を打つ」ではなく「豆をまく」というのは、農作業で畑に豆をまくしぐさを現しており、農民たちの豊作を願う気持がこめられているとも言われています。

 

編集後記

 寒風にうしろ姿のひとが増え友みまかりしを歳の瀬に知る
 喪中葉書が年々ふえてきました。
 差出人に心あたりがなく…息子さんからの喪中葉書でした。父が一月に母が六月に亡くなったという知らせでした。
 入社した時仕事を教えてくれた先輩。四十年前本社から駅に出て、定年まで一駅員で終わった人。
 その後、一度も会ったことはなかったのですが、「結婚しました」「あなたも幸せを早くつかんでください」などととぎれることなく丁寧に近況を綴り、年賀状をくれた人でした。