ほほえみ
ネットワークニュース
第87号 2008年3月1日発行

 

 心の救いとして「あるがまま」を肯定する

理事長
田代尚嗣

 長い夫婦生活をささえたのは、お互いに終生かけて補完しあい伴侶のために生きたから。だから互いのあるがままを認め合えるもの・・・(池羽)

 人生の「主人公」は私たち各々です。ですから誰にとっても他人の人生を生きることはできません。
 では主人公とはどのようなことなのでしょう。
 誰にも拘束されず、世間の基準にもとらわれず主体的に生きる人のことだと思います。拘束されず世間にもとらわれず主体的に生きるということは、自分の人生や自分のすべてを肯定することを意味しています。言葉をかえれば、自分の基準で生きている人のことです。
 他人の基準や世間の基準から考えたら劣ることも、ダメな面もあるかも知れません。しかし、自分の基準で計ってみたら、自分なりに一生懸命やってきたのだからこれでいいじゃないか、偉くならなかったけれど、金持ちにもなれなかったけれど、この世に特別なものものこさなかったけれど、自分らしい人生を歩んできたなと思える人のことです。
 他人や世間の基準でみれば、ほとんどの人は肯定でなく「否定」の対象になるかも知れません。
 神も仏も、ある一定のあるべき姿を期待して、愛したり、慈悲をかけてくれるわけではありません。ありのままの・あるがままの存在に愛をかけたり慈悲をかけてくれるのです。
 人は誰でも、あるがままの自分を肯定して欲しいと思っています。ということは、他人(相手)もあるがままを肯定して欲しいのです。
 私がこの会に従事している期間に、生前あるいは死別後に亡き配偶者が、たとえプラトニックであれ浮気していたことがわかり、今現在苦しんでいるというお話しをいく度となく聞きました。
 
( のこ ) された配偶者としてはつらいこととは思います。
 しかし、このような法則(パレートの法則)もあることを知っておいてほしいのです。
 「どのような企業でも優秀な二割の者が全体の
80%の仕事をし、残りの八割の者が20%の仕事をする。そして、たとえ優秀な人間ばかり100%集めてやっても、やはり結果は同じになる」という法則です。少し、暴論に聞こえるかも知れませんが、夫婦であってもこのような「最適な均衡」(?)を保つことが必要なのではないでしょうか。多分、この均衡≠ノついては皆様にも今までの人生経験の中からなんとなくわかるような気がする、という点かも知れません。
 例えば、真面目一方の働き者でシッカリ者の奥さんがいたとします。多分、夫は会社では若い女性群にもてようと軽口をたたいたり、カッコイイ男を気どっているかも知れません。家庭内に於いてはゴロゴロしているダラダラ亭主かもしれません。
 企業と同様、家庭内においても凹の人がいて凸の人も必要なのです。そうでなければ存続できないからです。男と女も相互に補完しあって暮らしているからこそ存続できるのです。
 ということは、補完して生きてくれた相手を、自分を肯定するのと同様に肯定しなければならないことになります。
 プラス面であれ、マイナス面であれ、自分とキチッと合ったからこそ、あるいは無意識に合わせてくれたからこそ夫婦でいられたといえるからです。この立場は夫の場合であっても妻の場合であっても同じことです。
 夫が生真面目で冗談の一つもいうことがなく、謹厳実直なタイプであったら、妻の方は少々いい加減であっけらかんとしたタイプでなければ多分、夫婦としての生活は長く続くことはないかも知れません。ですから、相手のあり方はこちらのあり方の、ある面での鏡なのです。このあり方をお互いに合わせられなかった、または合わせる価値もないものと思ったら(愛情がなくなったら)、その関係は破綻をきたすのです。
 これに対比するような言葉に「似た者夫婦」というのがあります。この意味は辞書によると、人は性格や好みの似ている者同士で、夫婦になる場合が多い、という意味と、夫婦の性格や好みは似てくるものだということ、とあります。
 多分、このことは基本的な価値観と感性が似ていて、凹凸がキチット補完し合ってきて、ある一つの姿としてみえるということをいっているのだと思うのです。
 夫か妻が多情であったとしても(その他の欠点があったとしても)そのまま、その存在を肯定せざるを得ないのです。その欠点もその人の個性として受け入れざるを得ないのです。それは自分が謹厳実直であることの個性と同じだからです。存在を肯定し、そのような人だったからこそ、自分と生涯を共にしてくれたんだと考えると、気が楽になるし、救われるのです。なぜなら、死別したということは、故人の終生をかけて配偶者のためにつくしてくれたたことと表裏一体であるし、また、今となってはそう考える以外にないからです。
 そして、生涯かけて配偶者のためにつくしてくれたことと比較すれば、その欠点があったことや 瑕疵 ( かし ) さえ ( ゆる ) しの対象になるからです。

 

おとうさんへ

A・K(埼玉県)

今日であなたが逝って三ヶ月過ぎました。いつもいつも一緒だったあなたが私の目の前から突然居なくなって、三ヶ月。
 会えないことの現実に、ついていけない私。何故会えないのか、居ないのか、わけのわからない私。
 今でも病院や二人でよく行った場所に行けば、会えると思ってしまう私。会えずにいられる私。
 いろんな私が今、ここに居ます。
 何故?何か悪いことをしたのでしょうか。涙がポロポロ流れます。涙って、しょっぱいんだ、なんて思ったりして…。
 同じ立場の先輩が前を向いて歩いていくしかないんだよ、と声を掛けてくれます。そうですね、とうなずく私が居ます。
 立ち直らなければと思い、生きて行けるかと問う私も居ます。
 あなたはこんな私をどう見ているのでしょうか?
 できれば教えてほしい。何もかもあなたに聞いて生きていた私だったから。
 これから前向きに元気に、頑張れないけれど、少しずつ、少しずつ前を見て生きていきます。
 私を見守って下さい。

亡き夫へ

M・S(茨城県)

入院十日で逝ってしまいましたね。あまりに早かったので、まだまだ生きていたかっただろうと思うと悲しくてたまりません。
 遺された私はこれから一人でどうすればよいのか?悲しみのあまり病気になり、心配した兄と姉が病院に連れて行ってくれました。
 医師からは「時間がたてば良くなる」といわれました。今は周りにいる兄、姉、友人たちにささえられ、少しずつ前を向くことができるようになりました。
 一周忌もすませました。
 犬を飼った方がいいとすすめられ、買いました。犬との生活にも馴れ、癒されています。犬は家族です。
 これから主人の分まで生きてゆこうと考えております。
 三十三年間ありがとう。

 

今、これからを

T・A(千葉県)

  今、私の傍にこれからの人生を共に生きると約束した人がいます。女房をガンで亡くし悲しみのどん底にいた時に「ほほえみ」の門を叩いたのは、ずっと昔だったような気がします。そして、やっと「今」に辿り着きました。
 定年を前にして女房は突然私の前から去ってしまい、これからをどう生きていけば良いのか茫然自失の状態でした。私の母も私と同じ五十九歳の時に夫を亡くし、ずっと寡婦を通しました。母の悲しみと寂しさは子供である私の存在をもってしても埋め切れるものではありませんでした。三十六年前、私は自分の未来を見つめる青年でした。今、私には未来に飛び立つ娘が二人います。私は、女房を亡くして初めてあの時の母の寂しさを痛切に理解しました。これから老いて行く私は孤独でした。仏壇に向かって「これからどうやって生きていけばよいのか教えてくれ」と問う毎日でした。正直、会社生活しか知らない私は、定年後の一人生活を想像するだけで恐怖でした。
 私は、慰めと同情を求めて「ほほえみ」の行事に参加しました。でも灯りのないマンションに帰った時、寂しさはより一層募っていきました。
 この寂しさを繰り返してはいけない。自分の足で立たなければいけない。ちゃんと前を向いて生きていかなければならない・・・と強く思うようになりました。それから、六十歳で退職する予定を変え仕事を続ける意思を固めました。
 そんな時、一筋の明かりが見えたのです。そう、私と気持ちが通じ合える人と知り合ったのです。それから、二人で何度も何度もこれからのことを語り合いました。私は、一人で生きていく自信がないけど、この人となら生きていけそうな気がしました。何年か後になって「あの時、何故行動しなかったのか!」と後悔するか否か、私は、その瞬間に立っていました。そして新しい人生を始めることを決心しました。
 もう一人ではありません。私は残された人生をその人と寄り添って生きていきます。これから、こんな人生を与えてくれたお互いの二人の伴侶に感謝しながら。

子供を信じる

T・Y

平成十五年四月に家内を天に送り、今までいろいろ失敗し、嘆き、悩みましたが、発見したことがあります。
 「子供を信じる」ということです。
 家内を亡くした時、子どもは小学二年生、母親を亡くしたショックで常時頭痛を訴えるようになり、学校に行けなくなりました。私は休職し子供とゆっくりと時を過ごすことにしました。しかし、子供の頭痛のことを理解することはなかなかできず、子供に何をしてやればよいか分かりませんでした。自分の無力を感じながら時が過ぎてゆきました。
 家内の癌再発がわかった時から学校を休む日が増えていたのです。
 しかし子供は半年過ぎた頃から徐々によくなり、だんだんに登校出来るようになりました。子供って子供自身がどうすればよくなるか知っているのかもしれませんね。このことが「子供を信じる」と言うことを意識する最初でした。
 それから四年たった昨年暮れ、六年生の二学期のあゆみ(通信簿)を見て、一日も休んでいないことに気が付きました。それに、成績がグンと良くなっているのです。
 このことが「子供を信じる」と言うことを再び私に意識させたのでした。
 「子供を信じきる」って、本当に難しい。でもこれから先も子供にまつわることの多くが私に対して「子供を信じる」という思いを強くさせてくれると信じてやっていこうと思っています。

 

読書雑感

YA( 東京都 )

 本屋さんに入ると小石を投げれば「老後の…」の本に当たるくらいこの種の本がところ狭しと置かれている。その中で一冊をあげれば、発売以来五十万部とベストセラーを快走している「おひとりさまの老後」上野千鶴子著であろう。
 結婚した人も、しなかった人もいずれは一人になる、既に一人をはじめている人、これから始めようとしている人に送るエールのつもりで書いたという著者。
 ある章を読んでみた。
 「おひとりさまになるまでには二人が一人になる喪失というプロセスがあり、最もダメージが大きいのが配偶者の喪失で、同じ時間を共有し日々の暮らしを紡いできた空気のような相手を失った喪失感の深さは計り知れない」の ( くだり ) に自分がこれまで辿ってきた道とオーバーラップし、涙で文字がかすんでしまった。
 でも次の章で「喪失はつらいが同時に自立をもたらしてくれる」とあり、更に「納得できる二人暮らしを経験した人はひとり暮らしに納得してふみ切れるだろう。」に救われ、やっとわが未来にも一筋の光明が差したところです。
 残念ながら、この後は紙面の都合で割愛しなければならない。
 「おひとりさま」のタイトルが自分は勿論、ほほえみの皆様にも相通じるものと思って綴ってみました。

 

銀座で忘年パーティ

交流の広場委員長 TN

 交流の広場主催の忘年会が十二月二十二日()に、銀座のど真ん中で二十六名という大勢の方が参加、開催されました。
 会は理事長のご挨拶をいただき、志村専務理事の乾杯で一気に宴会に突入しました。
 会場はバリ風最新鋭のカラオケリゾーツ。豪華な部屋で多国籍料理にアルコールを酌み交わしながら、カラオケをこころゆくまで楽しめるまさにリゾーツ。
 参加者はそれぞれ自慢ののどを披露され四時間、なごやかな懇親場となりました。

 

リライフ新年会

理事(リライフ担当) HT

一月一九日にリライフの新年会をすきやきで有名な「人形町今半」有楽町店で開催しました。会費は一万円とちょっと高かったのですが、何人もの方から「美味しかった、また来年も計画して下さいね。」という声が届きました。
 今半の社長が私の学友なので内容は、十分皆さんに満足していただけたようです。
 カメラを忘れて美味しい和牛すき焼きの写真をお見せすることができなくて残念です。
 リライフの食事会に出てみたいけれど若い人の会なのでしょ?とよくたずねられます。特に年齢を限っていません。皆さんで食事を愉しみながら語り合うことで少しずつ元気を取り戻すことができればと思って開いている会です。
 とかく、ひとりになると引きこもってしまいがちです。
 街には買い物を楽しむ夫婦。楽しそうに食事をしている家族連れ…。出かければ当然目に入ります。
 友人と会えば連れ合いの話。
 こちらが亡くなった伴侶の話をしようものなら、いつまでも亡くなった人のこと思っていないで元気になれよ、と言われてしまいます。
 リライフでは、死別の経験者同士だからこそ理解しあえることがたくさんあります。リライフの食事会の参加者が、愉しい時間をすごした後一人で家に帰るとものすごく寂しく辛いと言います。
 外に出て愉しいひと時をおくることの積み重ねが元気な生き直しに必ず役に立つような気がします。
 初参加の方からみると、すっかり元気になっている方がいますので、自分もあのように元気になれるのだろうかと不安に思うこともあると言います。でも個人差があるので早い遅いの違いはありますが、かならず′ウ気を取り戻せます。
 次回は四月十三日()の昼食を計画しました。
 参加をお待ちしています。

 

編集後記

 「桃の節句」今でも一部の地域に残る「流し雛」の習慣は、子供のケガレを雛人形に移して、海や川に流したことに由来しているといいます。悲しみも共に載せて流しましょうか。