ほほえみ
ネットワークニュース
第88号 2008年5月1日発行

 

 ひとり暮らしの時代

理事長
田代尚嗣

 私共の会員の方々も一人暮らしの方が多くなってきました。  今月号は今までと少し視点をかえ、社会的な面から一人暮らしについて考えてみたいと思います。 
  わが国も戦後60年余りが経ち、この間、平均寿命は昭和22年の男性50・06歳、女性53・96歳に比べて、平成17年には男性78・53歳、女性85・49歳と男女とも約30年も急激に伸びています。 
 その結果、世界でも最も早い速度で高齢社会になろうとしています。  これに加えてわが国戦後社会の変化に大きな影響を与えたのが大家族制から核家族への移行です。このことは「家」から「個人」への流れに変わったことを意味しています。これを反映して、一世帯の平均人数も50年前の5人から今日では2.6人へと約半分になりました。このような家族の核家族化による分散・分解の状況により、心の面では死別の悲しみを家族間で共有し、消化できなくなってきているといえます。また、このような社会のあり方の基本となるものが大きく変化した結果、今までになかった、あるいはあまり問題にもならなかった問題点がクローズアップしてきたのでした。
  老後について、介護、尊厳死、遺言、葬儀、相続といった問題が自分自身はもちろんのこと、家族を巻き 込んだ形で皆様が想像されている以上に不幸を招いている点です。  たとえば、相続につては争族≠ノなる可能性があることを誰でもが予想するようになりました。それを裏付けるように、家庭裁判所における遺産分割事件(調停・審判)は1年間に1万2632件(2006年最高裁判所・司法統計年報)にものぼっています。  そして、裁判所までは行かない、複雑な相談件数はその10倍弱はあるだろうともいわれています。その内訳は特別な金持ち、財産持ちの人たちではない普通の人たちが主体だというのです。

 その他の問題点についても思いつくままに例をあげてみましょう。
 【老後】
 今まで銀行口座から現金を カードで下ろせたのに、この前銀行に行ったらどういう訳か下 ろし方がわからなくなり、銀行の人に手伝ってもらって、やっと下ろせました。こんなことでは今後どうしたらよいのか悩んでいます。
 【尊厳死】
 私の父はもはや治る見込 みはなく、植物状態です。医師の話しでは、人工装置により10年以上も生き永らえることもあるそうです。それを考えると、父の医療費に私たちが、今後どれほど耐えられるか暗澹たる気持ちです。
 【遺言】
 父親が自筆証書遺言書を作って残してくれたのですが、検認手続きを受けるために開封せずに家庭裁判所に持参したところ、日付が4月10日としか書いていないため、結局無効になり、父親の遺志はないことと同じになりました。そのため財産相続をめぐって兄弟でいがみ合いが続いています。
 【葬儀】
 父親が突然、心筋梗塞で亡くなりました。とにかく葬儀社にお願いしたのですが、誰を参列させるべきか、遺影はどれにすべきかなどでパニック状態になり母と息子の私は、父の死を悲しむ心の余裕もありませんでした。
 【相続】
 私たちは女2人、男一人の3人兄弟です。父親が亡くなり、母親が生きている時はまだよかったのですが、母が亡くなった途端、弟が「実家の土地・建物 は自分のものだからな」と言い出し、それに反対しようものなら何をするかわからない剣幕で食ってかかってきます、・・などなど。

 一人暮らしに関係することで、生 涯未婚率という統計があります。それによると、2005年度は男性15・4%、女性6・8%です。そして、1990年生まれの女性の25%は生涯未婚になるだろうと推計されています。「これまで国の年金制度や 企業の扶養手当などは正社員の夫と専業主婦の妻、子という標準世帯を想定してきたが、個人単位の設計に見直す必要がある」といわれるほどになりつつあるのが現状なのです。




















 
会員の皆様の中にはもうすでに一人暮らしをされておられる方もいらっしゃいます。このような方々に私から一つアドバイスをさせていただきます。
 一、「エンディングノート」を購入し、出来るだけ細かく書いておくこと。
 二、人はまず身体が衰えます。ですから、日常生活上の金銭の管理をし てもらう人を決め「財産管理等の委任契約書」を結んでおくこと。
 三、次に人は頭が衰えます。成年後見制度の「任意後見契約の移行型」を結ぶこと。これは二、三を合わせた内容で契約できるもので、公正証書のヒナ型があります。
 四、「尊厳死宣言書」を公正証書でつくること。ヒナ型があります。
 五、「公正証書遺言書」をつくること。
  以上5点ですが、二、三、四、五は公証役場で公正証書で一日でつくれます。二の受任者(後見人)と、五の証人二人、それと本人計4名で各自実印を持って行きます。費用的には遺言書の財産金額にもよりますが10万円前後で終わるはずです。紙幅がつきました。これ以上お聞きになりたい方は『談話室』においでください。

(記事を書かれた理事長は仏教書と同時に、中高年を対象とした手続きの本を25冊ほど出版されています。このようなテーマの専門家でもあります。)広報

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歳月は流れても

T・H(52歳)

夫を亡くしてから、明かりの見えないその先の自分に夢など抱いたことがなかった。
 朝が来て、夜が来て、春夏秋冬、その一日一日を寡婦という呼び名のもとに遺された子どもたちと生きてきた、この九年の長い歳月。ずっと心の奥底にあった絶望的な悲しみは、これまでの長い時間の中で少しずつ氷解され、今は主人の写真を見ても涙することもなく過ごしている。
 ありふれた毎日が繰り返され、今は、少しの悲しさと寂しさが私の心の奥底にまとわりついているだけだ。
 でも、これを悲しみから乗り越えたというのだろうか。
 悲しみから癒されたというのだろうか。いや、ただ、悲しいことに慣れてしまったのだ。
 泣き叫んでもどうにもならない現実と、引き戻せない過去。甦ることのない夫の命と、自分だけが何年もこの世に息づいている命。 眠れぬ夜を過ごしながら何度も後悔をし、自分を責めてきた。
 数知れず涙を流したことが、むしろ知らず知らずのうちに、過去から遠ざかる行為になっていたのだろう。
 夢と現実を区別するために、これまでの長い時間が必要だったのかもしれない。でも、どんなに歳月が流れても愛した人を喪った悲しみが心から消えることはない。

 

愛と恨みと

Y・H

夫を亡くして五ヶ月、私は地獄に突き落とされたような気持で生きてきました。夫を失ったことによる猛烈な淋しさ・孤独感の一方で、夫の遺品から、夫が何度か精神的浮気をしていたことが、わかってしまったからです。愛する夫と幸せな結婚生活を何十年も続けて来たつもりでしたのに。
  最も心を傷つけられたのは、教え子のY代さんへの恋でした。Y代さん自身は夫の気持に全く気付かなかったそうですが、夫は手紙や詩の書き損じを残していて、その中で、「マイ・スイートハート」とか、「大好きな大好きなY代さん、死ぬ程好きなY代さん」などと呼びかけ、「あまりに好きになってしまったので、苦しくて仕方がない」「あなたなしでは生きていけない」「せめてあと一・二年は心の恋人でいてください」などと書いていました。さらに俳句まで詠んでいます。
  面影を深く埋(うず)めて雪積る
  十年後の今年、雪の日、初めてこの句を知った私は、失恋の悲しみと悔しさを込めて、次のように詠まずにはいられませんでした。
 雪積る恨みて想ふ亡夫(つま)の恋
 ウイドウサポート協会の田代理事長や吉澤先生に励ましていただいて、今少しずつ立ち直ろうとしている私です。
  亡夫(つま)の恋恨みてもなほ亡夫(つま)恋し

 

ふたりで歩いた東海道

M・M(東京都)

  私と夫は、平成十二年元旦から日程を調整しながら四年七ヶ月をかけて、日本橋から京都までの東海道を完歩しました。
 この大きな計画は、その頃、お互いに仕事が忙しく、ゆっくり話し合う機会がなかった事、夫が歴史好きだった事、私がなにしろ体を動かすことが好きだった事、などが集結して日本橋から京都まで歩いてみようと決めた事でした。
 この旅はとても大切な長い時間の旅だったのですが、同時に私たち二人に、夫婦として向き合えるたくさんの時間をくれたのです。
 それから間もなく夫は喉頭癌の手術をし、退職も余儀なくされ療養に専念しました。その間、食道発声法のコンクールへの出場等、会話も上手になり、このまま平穏な生活が続くと思っていましたが、 肺に転移してからはあっという間でした。
 あれから八年たちました。 以前、二人で途中まで歩いた甲州街道をこの頃、又その続きを歩いてみようかなと思うようになりました。ひとりでは淋しいので、サークルにでも入って皆と一緒に歩きたいと思っています。
 そちらに行くのはいつだかわからないけれど、今は何とかやっています。でも毎朝寂しい…。

 

ひとり歩きの第一歩

T・A(東京都)

一番苦しかったとき「ほほえみ」に助けられて四年半。
 時ぐすりという言葉どおり、やっとひとり歩きできるかな?と、久しぶりに高齢者施設に入所している親友を訪ねてみました。
 静かな昼下がり、サロンでの談笑に加わりながら初対面同志なのにお互いに心が満たされていくのを感じました。
 たわいのないおしゃべりでも、その雑談が私とはじめての方とのコミュニケーションとなり、心を満たしてくれる潤滑油になるのだということに気付きました。
 そしてそれらのお話、声を文字にするというボランティアをしてみないかというお誘いを受けたのです。
 「傾聴&作文という私にとって一番不得意なことが果たしてできるかしら」と言うとその方は「心で聞かせて頂くのです」と一言で言い切りました。
 更に「相手のお話を喜びと関心をもって受け止めその楽しさを相手にお返ししながら文にするのです」と。何だかとてもむずかしいことだと思いつつ、もう走り出してしまいました。
 私の拙い文で綴られた小冊子を読んで「よくここまで頑張って生きてきたものだなあ〜」と感慨深くじっと眺めている人を見ると、こちらも感動し、やり甲斐をおぼえます。
 「ほほえみ≠フサポートを必要としないくらい、元気になった時が悲しみからの卒業です。」という理事長の文を読んだことがありますが、一日も早くその日が迎えられるよう願いつつ、まだまだ当分は今迄通り一会員としてお仲間入りさせて下さい。

 

編集後記

 最後はひとり。つかの間の今生かぎりのこの命、愛おしみつつ、ひとりで生きて、ひとりで老いる。
 でも、シングルにはひとりでいることも、誰かといることも選択できる自由が有るさ!と思いつつ。 (広報)